下宮 憲二

やっぱり言いたい「被告人は、無罪!」(陸山会O沢氏無罪事件)

こんにちは、広島事務所の下宮憲二です。

「裁判長、なんでわかんねぇんだ。こっちは死ぬ気でやってんだ。被告人は、無罪!」

 O沢元代表の無罪判決を受けて、弁護人はどのような最終弁論をしたのだろうかと考えて、先のセリフを思い出しました。もちろん日本の刑事裁判をおもしろおかしく描いたパロディ映画でのセリフですが、裁判を傍聴したことのない方がこの映画を観てどのように思われるのかと思ってしまいました。

 ハリウッドのいわゆる法廷物と呼ばれる裁判映画などは、陪審制裁判において、人気俳優弁護士がかっこよく陪審員に語りかけているシーンがあります。あんな場面があれば先のセリフを言う機会があるんでしょうけど、通常の刑事裁判では先のようなセリフを言う機会というのはどんな手続なのかと考えてしまいました。

 しかも、「被告人は、無罪!」。このセリフを言う機会というのは弁護士と言えどもなかなかないと思います。

 刑事裁判における弁護人の役割は、すべてが被告人の無罪を勝ち取るためのものではありません。その大半が自白事件と言われる有罪を前提としたものです。自白事件とは、被告人が容疑を認めている事件です。被告人が罪を犯したのが間違いない事件で、客観的証拠もしっかりとそろっている事件では、被告人は否認しようがないため、初めから罪を認めるていることが多いのです。中には、それでも僕はやってないと主張する方もいらっしゃいますが、そのやってない言い分があまりに不合理である場合には結局認めることになってしまいます。自白事件では、被告人に有利な事情を探し出して、少しでも被告人に有利な裁判がなされるようにします。例えば、万引きをしてしまった被告人には、不況で仕事がなくなり、生活保護も受け付けてもらえず、家族を養うためにやむを得ずお弁当を万引きしてしまったというような場合には、被告人にも罪を犯さざるを得なかったやむをえない事情があったことを主張していきます。これが中心となるため、主張としては、「被告人には、寛大な処分を望みます。」と言った主張になるのです。このため、「被告人は、無罪!」と胸を張って主張する機会はなかなかないのです。

 自白事件の中でも、部分的に否認する場合はあります。例えば、相手に怪我をさせたことは間違いないが、殴ったのは1回だけで、被害者が言うように5発など殴っていないとか、万引きしたのは事実だが、悪いと思って一度店に引き返して棚に返そうと思ったところ店員に声をかけられたなどです。犯罪をしたことは認めているがその内容において検察官の主張と異なる場合です。この場合、被告人の主張が不合理でなく首尾一貫して同じ内容の供述をしているなどの事情があったとしても、裁判所は、余程の客観的証拠がない限り、被告人の言い分を聞いてくれないというのが私の実感です。

 被告人は罪を軽くするために嘘をつく。被告人の家族も被告人のために嘘をつく。被告人の供述を否定する物証はないが、被害者が嘘をつくはずはない。といった論理がなきにしもあらずです。被告人に有利な証言をしてくれる証人がいても、被害者から逆恨みされるのが嫌で法廷では証言出来ないという場合もあるのです。

 今回は強制起訴の事件であるため、弁護人の相手が検察庁ではなく、指定弁護士が検察官役をやっていました。政治的な思惑がないことを前提とすれば、検察庁が、有罪には出来ないと判断した事案です。しかも、事実に反する捜査報告書をそうとは知らずに検察審査会が起訴相当と判断したとされています。それでも判決内容を見る限りは有罪の一歩手前だったような感じです。何とか無罪が認められたのではないかと思います。

 刑事事件の弁護人として、被告人の言い分を裁判所に認定してもらうのがどれだけ大変なことか身をもって知っているだけに、O沢元代表の弁護人には敬意を表します。

 もし仮に、私が弁護人であったなら、最終弁論で、「裁判長、なんでわかんねぇんだ。こっちは死ぬ気でやってんだ。被告人は、無罪!」と叫んでいたかもしれませんね。