蓮見 和章

「動き出すチカラ」~地元も知らない広電復旧秘話~

皆さんご無沙汰しております。代表弁護士の蓮見です。

 

年末からブログ更新がとまってしまっていてすみません。各方面から、ご心配のお声掛けをいただきました。思いのほかブログを見ていただいている方が多いのだなあと改めて嬉しく思いました。ありがとうございます。

 

今後も継続的にブログ更新していきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

 

 

さて、久々の投稿は我が街「広島」に関する誇らしい話です。

 

 

昨日「有吉!謎解き物語~地元も知らないニッポン鉄道編」というテレビ番組で、広島の路面電車「広電」の特集を見る機会がありました。原爆投下後の路面電車の復旧に関するエピソードでした。

 

このブログを見ていただいている人は広島にお住まいの方も多いと思います。そんな地元の皆さん、この路面電車の話ご存知ですか?
原爆投下後から何日後に路面電車は動き出したと思いますか?

 

 

・・・なんと・・・・

 

3日後だそうです!

 

知っていましたか?衝撃ですよね。しかも、己斐から天満までという、比較的被爆地に近い場所での運行だったようです。
私自身は3日後に運行したというのは以前からどこかで聞いていましたが、ここまで市内中心部の被害の大きいところを走っていたとは思っていませんでした。

さらに驚きなのは、実際に路面電車を運行していたのは、当時14~16歳の女子学生達だったということです。今でいうと中学生。まだ原付にすら乗れないし、バイトもできない年齢です。

もちろん、多くの方が被ばくし、人的資源も限られている状態だったというところもあったようですが、被ばくから3日後ですよ?

家族や多くの友人が被ばくに会い、消息不明の知人も多くいたと思います。まだ10代半ばで悲しみに打ちひしがれながら、慣れない電車の運行を行う。
私たちは本当に平和な世の中に生きていると思います。

この路面電車の運行により、市内は物理的に大いに助かったに違いありません。しかし、己斐から天満までの距離は1.5キロメートル。また当時の運行スピードを考えるとそこまで実用的であったといえるのか不明です。歩いた方が早い人もいたかもしれません。

 

では、何故走らせたのか?

 

番組では、当時14歳で電車を運行した元女学生や当時16歳で最初に試運転を行った男性(試運転は本当に電車が動くのか不安ばかりのなかで、通常1分で渡れる鉄橋を70分以上かけて渡ったそうです)の方がインタビューで「動いている電車を見た人が皆びっくりして振り返り、次第に動いている電車を笑顔で見つめている」光景が、今でも忘れられないと話していました。

 

また、同じく番組の中では、原爆投下7か月後の映像ではありましたが、被ばくして完全に壊滅状態の街をぽつんと走る路面電車の映像が流れました。

その映像を見ると、なぜか私も

「広島なめんな!」

 心の中でついそう叫び、涙がでてきて(お酒も飲んでいました 
 が・・)自分も頑張らなきゃと思いました。

 

私ですらそう思ったくらいですから、実際に被ばくを体験され絶望の淵にさらされた方々が、生で路面電車が走っているのを見たら・・・・

それは本当に言葉で表すことのできないエネルギーをもらえたとおもうし、それにより自分自身の中にわずかでも希望の芽を見いだせたのではないでしょうか。

 

私自身、たまたま年末に被ばく経験のある女性とじっくり話をさせていただく機会がありました。その女性の家は倒壊し、本人もガラスが刺さり重傷を負って収容所にいたそうなのですが、そこでも路面電車が動いているという知らせで収容所が一瞬明るくなったと話していたのを思い出しました。

「路面電車が動いている!!」

その事実が、復興への大きなチカラになったのは間違いないでしょう。

路面電車の運行再開の決断がどのような経緯でなされたのかはわかりません。ただ、単に電気が通っているからといって、走らせましょうとはならなかったはずです。崩壊している街を走ることで感電のリスクもありますし、更なる空襲の標的になることや、被爆者が電車に群がってトラブルになる可能性だって捨てきれなかったはずです。電気代だって戦時中で苦しい時ですから、物理的に大きな効果が見込めなければ、運行を躊躇すべきとの意見もあったはずです。

 

 

その中でもとにかく、あれこれ考える前に

 

「動き出す!!」

 

 

とても勇気のいることだし、一見無意味かもしれないけど、このことが持つチカラというのはやっぱりすごいなと感じました。

 
 現代社会で日々平穏な暮らしを送っていると、「まあ今じゃなくてもいいでしょ」と決断や行動を先送りにし、そこにいろいろなリスクや言い訳を並べて正当化することも多いと思います。それがすべて悪いというわけではありません。ただ、時として、この路面電車のように動きだすことがとてつもなく大きな意味を持つことがあることをを改めて感じました。

こんな大きなエピソードに弁護士業務と重ねあわせるのは大変恐縮ですが、法律トラブルを抱えてご相談にいらっしゃる方の中には、突然のトラブルで本当に憔悴し、人生に絶望され何も手につかない状態の方がたくさんいらっしゃいます。過去を悔やみ、将来を悲観する。中にはそれすらもできない状態の方もいらっしゃいます。
そんな依頼者に対して、路面電車ほどの勇気は与えられないと思いますが、少なくとも単に悩みを共有するだけではなく、「動き出してみる」ということについて一緒に考え、寄り添うことで、勇気を持ってもらえるような弁護士でありたいと思いました。

 

 

この路面電車のエピソード、「地元も知らない」では物凄くもったいない話だと思いました。広島の方だけでなく、広島から全世界にこのエピソードを発信していくべきだと思いました。
また、幸いなことに、私たちは、ここ広島にいながら、当時を知る方から実際にお話しを聞くことができます。この世に生きる我々は、そういう方からいろんなお話しを聞いておかなければならないし、聞いてみたいと感じました。

 

 

 このエピソード、10代の子どもたちが主役ということで高校演劇のテーマとしてもピッタリではないかと思います!!高校生と演劇をさせてもらっている自分自身でも、このエピソードを広めていくために何かできることを模索していきたいです。

 ただ考えるだけでなく「動き出す」ことが大事ですからね。