蓮見 和章

「ローマは一日にしてならず」~サッカーW杯と憲法解釈変更

 

   こんにちは広島事務所の蓮見です。

 

さて、サッカーW杯、日本は完敗でしたね。これまでの代表と異なり「日本らしいサッカーをする」という壮大な目標を掲げザッケローニ監督を招へいして4年間。比較的順調に成熟しているような気もしていたので期待していましたが、いいところがあまりありませんでしたね。

 

多くの選手が「自分たちのサッカーができなかった」と嘆いていたようですが、そもそも「自分たち=日本らしいサッカーをする」という言葉ばかりが先行してしまって、試合に勝つためにどうしたらいいかという目的と手段の関係がややあいまいになってしまったような印象を受けてしまいました。

 

これはサッカーど素人である私の勝手な戯言ですが、日本代表はまだまだワールドカップ出場の歴史も浅く、世界の強豪と真剣勝負を数多く経験してきたわけではないので、まだまだどんなサッカーが自分たちのサッカーなのかなど明確に定義できないと思います。圧倒的な伝統を誇るブラジルですら時としてパニック状態になってしまうわけですから、日本サッカーもまだまだこれからもいろんな試行錯誤を重ねて、前進と後退を繰り返しながら少しずつ形になっていけばいいのではないかと感じました。

 

「ローマは一日にしてならず」ならぬ「日本のサッカーは4年にしてならず。」といったところでしょうか。

 

  話は変わりますが、先日とある政策をとることについてそれが合憲であるとの憲法解釈の変更が閣議決定されましたね。

 

  ある政策の是非については、ここでは触れません。あえてね・・・・。

  という微妙すぎる冗談はさておき、この政策にはいろいろな意見があると思いますし、どのような意見でも他の意見を殊更排斥するのではなく、しっかり議論することが大事だと思っています。ですが、今回はそこを問題にしたいわけではないのです。

 

  そもそも内閣が憲法解釈の変更などできるのでしょうか。

 

  これは、法律を勉強し、その知識を生かして仕事をしている立場からの真面目な意見ですが、内閣が憲法解釈を変更できる権限をもつという見解については理解ができません。

憲法は三権分立を謳っていて、国会は立法府として法律を作り、内閣は行政府としてその法律を執行しまたは法律の原案を作る権限を有するに過ぎないのであって、憲法や法律の解釈をするのは裁判所の専権事項です。(憲法に関しては最高裁判所が最終的な解釈や判断を行うものと憲法上明記されています)。

安倍首相は、行政権が内閣に属することや国民の支持を得て首相になったことを理由に解釈変更の合理性を見出そうとしているようですが、憲法改正手続が憲法によって明記されている以上、首相は内閣を代表して憲法改正の議案を国会に発議するところまでしか認められていないはずです。

結局、憲法の解釈を変えたいのであれば、内閣の発案により国会の議決を得てその後の国民投票により憲法改正するか、何らかの事件を扱う裁判の中で最高裁判所による憲法解釈の変更を仰ぐしかないはずなのです。

ですから、今回の閣議決定で一番問題なのは、政策云々よりも国民が閣議決定により憲法解釈が変わるものなんだと刷り込まれてしまった可能性があるということだと思うのです。

日本国憲法は平和主義以外にも、権力者が権力にものをいわせて国民の基本的人権を侵すことがないようにという目的のもと、守るべき人権とその人権を守る仕組み(国民主権と三権分立)を定めています。

今回の閣議決定は、その仕組みの部分の解釈をも変更するものです。日ハム大谷選手ばりの二刀流もとい、一石二鳥を狙った閣議決定ともいえます。

これで憲法解釈変更されたんだと認識して内閣にお墨付きを与えてしまったら、現在当たり前のように認められている人権があっという間に閣議決定によって制限されるようになってしまうかもしれないのです。あくまで憲法の解釈は最終的に裁判所にゆだねられるものであって、たとえ内閣が閣議決定したとしても、それはむしろ

 

「これから憲法違反になる可能性がある行政を行います。それはこういう政策です」

 

と内閣が宣言したに過ぎないということを皆さんには是非理解してもらいたいと思います。

首相からすれば「日本らしい××的○○権」を掲げたかったのかもしれませんが、自らが理想とする政治を行うには国民の理解を得る必要があるという目的と手段の関係を故意にあいまいにしてしまったと言わざるを得ません。

日本の最高法規である憲法を改正をするのは決して簡単ではないですが、為政者は憲法を変えたいのであれば改正要件を満たすために地道に努力するしか道はないと思います。

法解釈としては「憲法解釈変更は閣議決定にしてならず」なのです。